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鴨南蛮

1箇月ほど前の話になる。

サカタさんの奥さんのミホさんが
突然、我が家を訪ねてくださった。

サカタさんとは、夫の元同僚かつ友人。
サカタさんは昨秋亡くなった。46歳の若さで。
残された家族(というコトバは好きではない)は、
ミホさんと中学生の女の子、小学生の男の子と女の子の4人。
末の女の子には知的障害(というコトバは好きではない)がある。

サカタさんは、職人肌のシステムエンジニアで、
妙に頑固で融通の利かない面があり、
上司ウケはよくなかったそうだ。

その代わり、その頑固さは趣味に活きた。
サカタさんは、蕎麦打ちが玄人並みに上手かった。

玄蕎麦は地産のもの、それを石臼で挽いて粉にする。
つゆも醤油・みりん・ざらめで「かえし」とやらを作り、
かつおぶしも○○産の・・・と薀蓄にはキリがなかった。
でも、サカタさんが打つ蕎麦は、
そんな薀蓄が厭味にならないほど、文句なしに旨かった。
細身の、コシのしゃっきりした、
サカタさんの人柄そのものの几帳面な蕎麦だった。

サカタさんの夢は、末の女の子が大きくなったら
彼女に粉を挽かせて、彼が蕎麦を打ち、奥さんが接客する、
本物の蕎麦をふるまう小さな店を持つことだった。

そんなサカタさんが癌の告知を受けたのは3年前。
「余命半年」と医師は本人に伝えた。
即入院。即手術。
退院はしたものの、予断を許さない状況は続いた。
抗癌剤のせいで、髪は抜け、皮膚はしぼみ、
体重・体力はがくんと落ちた。
しかし、不思議なことに「痛み」は出なかった。

残された時間を計りながら、サカタさんは
「いずれ」「退職後に」と描いていた夢を
めまぐるしい速さで実現させようとした。

末の女の子が通う授産施設にかけあい、
通所生に蕎麦を挽く作業を加えてもらい、
挽いた粉をサカタさん自身が買い取り、蕎麦を試作する。
サカタさんが所属している地元の蕎麦会のメンバーに
自分の思いを伝え、賛同者を募る。
不動産屋をまわり、店舗物件を探す。
一方で、家のそばに畑を借り、そこで薬味に使う
葱や辛味大根を育てていた。
新しい治療法があると知れば、積極的にそれを受けた。

それだけ奔走すれば、疲労はたまる。
しかし、それはそのままサカタさん自身の生きる力になった。

「余命半年」の告知から、2年半が過ぎていた。

昨夏の猛暑を無事、乗り切った。
新蕎麦の実りを楽しみにしていた。
「いい貸物件が見つかった」と嬉しそうに電話をくれた。
冗談混じりの明るい声を聞きながら、
「このままサカタさんは生き続ける」と私は思った。
願いや祈りというより、確信に近かった。
その2週間後、サカタさんは、あっけなく、逝った。

サカタさんは、毎年「お歳暮代わり」と言って
大晦日に、自分の打った蕎麦を贈ってくれていた。
我が家では、それを鴨南蛮にして食べるのが通例だった。
昨年末、お正月の食材の買い出しで、
うっかりと材料の合鴨を買ってしまい、家に帰ってから
「ああ、馬鹿だな、私。
サカタさんの蕎麦はもう食べられないのに」
と気づいて、少し泣いた。
涙を封じるために合鴨は冷凍庫の底にしまった。

ミホさんが、こんかい我が家を訪ねてくれたのは



「私、自分で、蕎麦を打ってみたんです。
主人にはとてもとても及ばないんですが、
なんとか形になるものができたので、
ちょっと試していただきたくて」
ということだった。

ミホさんは柔らかな表情でポツポツと話す。
「葬儀からずっと、慌しくて悲しむ暇もなくてね。
でも、この前、やっと泣いたの」
と恥ずかしそうに笑う。
「蕎麦を打ってみようと思ったのはね、
娘の授産施設に久しぶりにご挨拶に行ったら、
もう主人がいないのに、通所生のみんなが黙々と
蕎麦を挽いたり、ふるいにかけたりしててね。
彼らは『死ぬ』ということは理解してないけど
『生きる』ことはこういうことだよ、って示してくれてる。
それを見たら、ああ、私も何かやらなくちゃ、って思ったの。
それで・・・」
と笑う。

サカタさんの闘病中、ミホさんは
周囲の「本人が一番辛いのだから」というコトバに
どれだけ自分の思いを封じてきたかを私は知っている。
ミホさんは「ただ見守るだけでした」とゆったり語るけれど、
それは無関心でいることとは違う。
なのに、誰にも自分の辛さや悲しさを語らずに
ミホさんは、こうして蕎麦を打つことで昇華したのだ。

サカタさんの死に様に胸打たれたが、
ミホさんの生き様にもやられた。

それとね、とミホさんは、蕎麦の他に
もうひとつの袋を取り出す。
「これ、下仁田葱。主人が種を蒔いたものなの。
火を通すとね、すごく甘くて美味しいの」
店頭に並ぶものより、丈が短いが、真っ白で太い元気な葱が
何本もあった。
サカタさんの病気で黒ずんだ肌と対照的なつやつやとした葱。
サカタさんは、こういう形で命をつなげている。
「実は冷凍庫に年末に買った合鴨があるの。
それとこの葱で、鴨南蛮作る」
と言うと、
そう、とミホさんは笑って、そして2人で少し泣いた。

ミホさんが帰ってから、蕎麦の入った容器を開くと
ちょっと短かめで太めの不揃いな蕎麦が並んでいた。

茹でた。
水に晒した。
もう一度、熱湯で温めた。
家にある、かつおパック10袋で濃い目の出汁をとり、
アルコールを飛ばしたみりんと醤油で味付けし、
合鴨肉とあぶった下仁田葱を入れ、
その鴨汁をかけ、七味をたっぷり振って食べた。

コシは緩めだった。
サカタさんのとは、まったく対照的だが、
ミホさんの人柄そのものの優しい蕎麦だった。
by senriko | 2005-03-06 21:05 | 出逢い
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