<   2005年 03月 ( 1 )   > この月の画像一覧

鴨南蛮

1箇月ほど前の話になる。

サカタさんの奥さんのミホさんが
突然、我が家を訪ねてくださった。

サカタさんとは、夫の元同僚かつ友人。
サカタさんは昨秋亡くなった。46歳の若さで。
残された家族(というコトバは好きではない)は、
ミホさんと中学生の女の子、小学生の男の子と女の子の4人。
末の女の子には知的障害(というコトバは好きではない)がある。

サカタさんは、職人肌のシステムエンジニアで、
妙に頑固で融通の利かない面があり、
上司ウケはよくなかったそうだ。

その代わり、その頑固さは趣味に活きた。
サカタさんは、蕎麦打ちが玄人並みに上手かった。

玄蕎麦は地産のもの、それを石臼で挽いて粉にする。
つゆも醤油・みりん・ざらめで「かえし」とやらを作り、
かつおぶしも○○産の・・・と薀蓄にはキリがなかった。
でも、サカタさんが打つ蕎麦は、
そんな薀蓄が厭味にならないほど、文句なしに旨かった。
細身の、コシのしゃっきりした、
サカタさんの人柄そのものの几帳面な蕎麦だった。

サカタさんの夢は、末の女の子が大きくなったら
彼女に粉を挽かせて、彼が蕎麦を打ち、奥さんが接客する、
本物の蕎麦をふるまう小さな店を持つことだった。

そんなサカタさんが癌の告知を受けたのは3年前。
「余命半年」と医師は本人に伝えた。
即入院。即手術。
退院はしたものの、予断を許さない状況は続いた。
抗癌剤のせいで、髪は抜け、皮膚はしぼみ、
体重・体力はがくんと落ちた。
しかし、不思議なことに「痛み」は出なかった。

残された時間を計りながら、サカタさんは
「いずれ」「退職後に」と描いていた夢を
めまぐるしい速さで実現させようとした。

末の女の子が通う授産施設にかけあい、
通所生に蕎麦を挽く作業を加えてもらい、
挽いた粉をサカタさん自身が買い取り、蕎麦を試作する。
サカタさんが所属している地元の蕎麦会のメンバーに
自分の思いを伝え、賛同者を募る。
不動産屋をまわり、店舗物件を探す。
一方で、家のそばに畑を借り、そこで薬味に使う
葱や辛味大根を育てていた。
新しい治療法があると知れば、積極的にそれを受けた。

それだけ奔走すれば、疲労はたまる。
しかし、それはそのままサカタさん自身の生きる力になった。

「余命半年」の告知から、2年半が過ぎていた。

昨夏の猛暑を無事、乗り切った。
新蕎麦の実りを楽しみにしていた。
「いい貸物件が見つかった」と嬉しそうに電話をくれた。
冗談混じりの明るい声を聞きながら、
「このままサカタさんは生き続ける」と私は思った。
願いや祈りというより、確信に近かった。
その2週間後、サカタさんは、あっけなく、逝った。

サカタさんは、毎年「お歳暮代わり」と言って
大晦日に、自分の打った蕎麦を贈ってくれていた。
我が家では、それを鴨南蛮にして食べるのが通例だった。
昨年末、お正月の食材の買い出しで、
うっかりと材料の合鴨を買ってしまい、家に帰ってから
「ああ、馬鹿だな、私。
サカタさんの蕎麦はもう食べられないのに」
と気づいて、少し泣いた。
涙を封じるために合鴨は冷凍庫の底にしまった。

ミホさんが、こんかい我が家を訪ねてくれたのは

More
[PR]
by senriko | 2005-03-06 21:05 | 出逢い