朝顔とジャガイモ

筆まめだった亡母は、日記や手紙の草稿を遺していた。

それを知ったのは、20歳の夏。
病床の祖母に呼ばれ、逢いに行くと
「これ。今のうちに渡しとく」と
母の日記帖数冊と手紙の束が入った箱を差し出された。

その頃住んでいた古びたアパートに帰り
窓を開け、ヒグラシの声を聞きながら、それらを読んだ。

父と母が暮していた頃の日記もあった。
別れ際の葛藤が生生しく延延と書かれた1冊もあったが
暮し始めた頃の初初しいふたりは
1本のバナナ(当時は高級品)を1口ずつ分け合って食べた、だの
若かりし父が釣り銭などの小銭を壜に集めて将来の貯えにした、だの
若かりし母が、芽を出したジャガイモを鉢に植え、窓辺に置くと、
父は毎朝定規で測り「今日は○センチ伸びた」と母に笑いかけた、だの
“おままごと”のような穏やかな日々も綴られていた。

  人生の諸先輩方は、このような男女を
  よく「甘い」「人生(結婚)はそんなものではない」と評すが、
  しかめ面で、そう仰る方ほど幸せとはお見受けできない。
  うまくいく男女というのは、人生の荒波のなかでも
  そんな“おままごと”をずっと続けられる人人ではないのだろうか。

さて、20歳の私はそれを読んで、思わず、くくく、と笑った。

4歳から6歳の頃、母と私が暮した借家の
通りに面した出窓には、細い洒落た格子がかかっていた。
春。その窓の下に母とふたりで紫色の朝顔の種を蒔いた。
初夏。伸びた蔓を窓の格子に這わせて、母は
「お母さんの朝顔と千里ちゃんの朝顔、どっちが伸びるか競争」と笑った。
夏。私は毎朝、竹製の物指しで「ココまで伸びたよ~」
「今日は○個咲いたよ~」と報告すると、母は目を細めて「そう」と答えた。

母は、おやつは菓子よりも果物、と心がける人だった。
よく登場したのはバナナ。
母の日記によると私の好物で離乳食がわりでもあったようだ。
6歳の私は、童謡「さっちゃん」をハミングしながら
小さいからってバナナを半分しか食べられないのはなんでだろう?
私も小さいけど、まるごと食べられるのに。
もっと食べたいくらいなのに、と考えながら、
大きいバナナをもぐもぐと食んでいた。
頬を膨らませた私を、母は「栗鼠みたい」と言った。

「今晩は千里ちゃんの好きなカレーにしよう」
「おつかいに行ってきてくれる?」と母に頼まれた私は、
八百屋さんで渡すメモ、お肉屋さんで渡すメモ、がま口を入れた、
手籠を持って商店街へゆく。
買い物を終えて、家に帰ると、私はいつものように
戸棚の壜にお釣りを入れて「ちょきん」した。
貯まったら、これで「魔法のマコちゃん人形」を買ってもらうのだ。

そんな古びた記憶が甦った。

朝顔とジャガイモ、壜に集めた小銭、バナナ。
母は愛した人のおもかげを残した娘に、
愛した人と同じことをさせて懐かしんでいたのだ。
母はそのとき赦していたのだ。
穏やかに振り返られたのだ。

夜風の中で読み終えたとき、私の中で
父も母も「両親」ではなく、ひとりひとりの「男」「女」に変わっていた。
さらに「両親」と呼ぶべきなのは、育ててくれた伯父夫妻だと思った。
しばらくして私は祖母に
「これから伯父さんと伯母さんを、おとうさんおかあさんと呼ぶ」
と小さな決心をしたためた手紙を送った。
それを読んだ祖母は「千里も少しは大人になった」と笑っていた
と後に“おかあさん”は教えてくれた。
祖母が逝ったのは、それからまもなくだ。

この季節。
冷やした西瓜や桃があるのに、バナナばかり食べていた
6歳の私を思い出す。
お使いから帰って、ただいまぁ、と玄関の引き戸を開けるとき、
ちらりと見えたしぼんた朝顔を思い出す。
・・・明日いくつ咲くのだろう、どこまで伸びるのだろう?
お勝手からのぼるカレーの匂いを思い出す。
出来上がるまで私はテレビの「魔法のマコちゃん」に見入っていた。
・・・お人形を買ってもらえるのはいつだろう?

母と私の暮しも“おままごと”のようで、まもなく終わりが来た。

夏は秋以上に物思う季節だ。
[PR]
by senriko | 2005-08-13 14:18
<< 「四月の雪」と「九月の雨」 マジでヤバイ >>